アンティーク、ヴィンテージの西洋陶磁器やオールドノリタケ、エインズレイ・コールポート 英国の陶器などティーカップ、コーヒーカップ、ティーポット、コーヒーポット、カップ&ソーサーセット品、フランス リモージュ、ドイツ、オーストリア、オランダの飾り皿、食器、燭台など一つ一つ厳選し珍しいアンティーク テーブルウェア、インテリアを通販でご紹介しお届けしす。
オールドノリタケ(Old Noritake)
間違いやすいオールドノリタケの偽物の刻印
オールドノリタケには製作年代によって作品に異なる刻印(バックマーク)がついておりその数は数百個ともいわれています。
ここでは、偽物のマークの見分け方の一部をご紹介します。
オールドノリタケの刻印に非常によく似た間違いやすいマーク、いわゆる「偽物」がついていることがあります。精巧に作られた作品、よく真似て作られた作品もありますので、その判別は刻印を調べ確認することをおすすめします。
以下は、よく見かけるオールドノリタケの偽物の刻印となりますので今もしお手元にあり気になる方、確認したい方は以下をご覧いただきご参考ください。
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以上は偽物の刻印の一部となります。
裏印のデザインを見ますとメープルリーフの大きさや書体の違い、小さな点の有無の違い、アルファベットや文字色の違い、一見して見落してしまいそうなわずかなデザインの違いなどがあることが見てとれます。
偽物の刻印がついた作品が今も海外でも数多く残っていることから、当時のオールドノリタケの作品がいかに欧米で人気が高かったかがよくわかります。
オールドノリタケの刻印については様々な美術本で掲載されていますが愛知県名古屋市 ノリタケの森にある「ノリタケミュージアム」においても展示されており見ることができます。
オールドノリタケとは
ノリタケの歴史からひもとくオールドノリタケ
世界的に陶器のブランドで有名なノリタケ。
今年創立120周年を迎えます。
現在の株式会社ノリタケカンパニーリミテド(以下ノリタケ)、ノリタケの名前の由来は地名の愛知県名古屋市の則武(のりたけ)からくるものです。
明治治37年(1904年)に輸出用にディナーウェア(洋食器)を国内製造することを決め日本陶器合名会社を創立しました。
しかしそこに至るにはさらに過去へ戻り歴史をたどることとなります。
ノリタケの森にて撮影
日本の伝統的な美的センスと高い技術力、そして時代の少し先を見据えながら西洋の感性を取り入れたデザイン性を取り入れながらたゆまない技術革新によって数多くの陶磁器を作ってきました。
現在では陶磁器の生産から様々な分野へ展開しています。
ノリタケの陶磁器の歴史は、明治9(1876)年、東京銀座に森村市左衛門が「森村組」を創業したことにさかのぼります。海外貿易を通してアメリカをはじめ、英国などへ高品質の陶磁器を国内で輸出用に生産し海外で高い評価を得てきました。
海外貿易をはじめるにあたり森村市左衛門とある人物の出会いがありました。
幕末のころ、日本の金が海外に大量に流出することに不安や危機感を覚えた市左衛門は、知人から紹介された福沢諭吉の言葉が動機となり海外貿易への道が開きました。
その言葉とは、「流出した金を取り戻すためには海外貿易以外に方法はない」というものでした。
ノリタケの森ミュージアムにて撮影
森村市左衛門は、ニューヨークに弟の森村豊(とよ)を送り、のちの「モリムラブラザーズ」を立ち上げます。当時まだ東洋人に対して厳しい時代であり生活環境も苦しい中、少しずつ商売を伸ばしていきました。当初は日本からの骨董品、陶器のほかうちわ、ちょうちんなどの雑貨品を販売しました。
中でも陶磁器の売れ行きが良いことから日本からの陶器を販売することになります。好評だったのは陶器の花瓶、壺、皿など装飾品で、それらは、画付けを東京、京都などで行い生地は瀬戸で作らせたものでした。
それらの陶磁器製品はディナーウェアとは別にファンシーウェアとよばれていました。
それは、1941年に閉鎖される間までのアメリカでの販売拠点となり陶磁器生産においてとても重要な仕事を担っていました。閉鎖に至る理由には、1939年、第二次世界大戦の勃発などが影響しました。
オールドノリタケの作品は、ハンドペイント、豪華な金彩、品質の高さ、デザイン性の高さから100年以上たつアンティークの作品として世界中の骨董収集家からその価値を認められています。
また、手描きの作品にアーティスト(絵付師)のサインが入っているものは特に貴重な品として扱われています。
中には状態の良いものもありますが、やはり100年以上たっていることからよほど保管状態の良いものでない限りアンティーク特有の経年のスレ(摩耗)、はがれ、ニュウ、欠け、ヒビなどがあるものが少なくありません。
持ち手(ハンドル)の摩耗など。しかしながら高品質であることに対する価値はかわりません。
バックスタンプ(刻印)にNoritakeの商標がつくようになったのは明治41年(1908年)ごろから。
それまでの製品の刻印には国内7か所の森村組の専属画付(えつけ)工場の窯元名が付され、日本陶器が明治37年(1904年)に創立されるまでの間はメープルリーフ(森村組使用)のバックスタンプが使われています。
しかし専属でない画付工場も複数あり刻印のないものもあるため、森村組が輸出したものかどうかはデザインの原画となる画帖や技法、製品の完成度などから照合することで確認する場合もあります。
森村組と日本陶器(現・株式会社ノリタケカンパニーリミテド)が、明治中期から第二次世界大戦期にかけて製造し販売した陶磁器を「オールドノリタケ」と呼びます。
当時の欧米の顧客や時代、文化のニーズの情報を陶磁器に取り入れ、新しいデザインを生み出し消費者に受け入れられていきました。そしてアメリカの収集家たちによってアンティーク価値が見いだされる1970年代になると、これらの陶磁器は「オールドノリタケ」と呼ばれるようになりました。
オールドノリタケの作品は、繊細で美しく人のあたたかみが感じられ広く愛されていることで知られています。
様々な熟練職人による技法が使われ日本の伝統をベースに西洋の文化や技術と融合させて新しい魅力を生み出し世界中で高い評価を受けています。
【ノリタケの森に今も残る当時の赤レンガ建築】
ノリタケの森ミュージアムにて撮影
ノリタケの森美術館の赤レンガの建物。
森村市左衛門が明治9年(1876年)に設立した貿易商社森村組が本格的な陶磁器製造のためノリタケの前身、日本陶器合名会社の最初の工場として明治37年(1904年)に建設され昭和50年(1970年)まで使われていました。
建物には創立者6名の宣誓分が埋められており工場設立の際の想いを感じることができます。
ノリタケの森ミュージアムにて撮影
緑の多い敷地内でその建物は時代を超え威厳をたもち今もなおその姿を見ることができそれらは、経済産業省の近代化産業遺産群、名古屋市の認定地域建造物資産に認定されているほどです。
ノリタケの森敷地の隣にはノリタケ本社の建物があり会社の歴史を身近に感じられる魅力的な場所です。
またノリタケの森には、オールドノリタケの展示を見られるノリタケミュージアム(クラフトセンターの3F、4F)があります。
明治時代に作られた豪華な花瓶や飾り皿をはじめ、大正から昭和初期に製造された洋食器等を展示。時代の風を取り込むような美しい食器の数々に魅せられます。
ウェルカムセンターでは、ノリタケの始まりから現代にいたる歴史を映像、写真、作品で見ることができます。
ノリタケの森ミュージアムにて撮影(ウェルカムセンター)
ノリタケの森ミュージアムにて撮影(ウェルカムセンター)
ウェルカムセンター右にはクラフトセンター・ノリタケミュージアムが隣接します。(要入場料)
1、2階では陶器が作られる工程を見ることができます。2階では絵付け体験を楽しめるコーナー(別途有料)があります。
3、4階はオールドノリタケをはじめ今まで作られた陶磁器の作品を歴史とともに堪能できる展示となっています。
ノリタケの森ミュージアムにて撮影
ノリタケの森ミュージアムにて撮影
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