オールドノリタケ(Old Noritake)
オールドノリタケの作品の画付技法について
オールドノリタケ 梟 フクロウ 両耳飾壺 一陳盛り上げ 硝子黄色目 by cherish
オールドノリタケ アンティーク ティーポット 金盛り上げ by cherish
ノリタケ コーヒーカップを支えた瀬戸の陶工
寒くなりカフェで温かいコーヒーにホッと癒される季節。
カフェでコーヒーを注文すると当たり前のようにカップ&ソーサーでだされます。
しかし、明治時代にはまだ世界的に陶磁器で有名なノリタケでもコーヒーカップはありませんでした。ただ、創業者の森村市左衛門の情熱に瀬戸のある陶工が熱いチャレンジ精神を持った陶工がこたえ作ることができたのです。
明治時代の日本、まだまだコーヒーを飲む文化、習慣はなくもちろんコーヒーカップも作られていない時代ががありました。良い陶土がとれることで六古窯で知られている瀬戸市でも作る窯元や職人はいませんでした。
西洋でのコーヒーカップはどうだったかと言えば、1750年頃ようやく取っ手付きのコーヒーカップが誕生しましたが、それ以前は小さなスープボウルに熱いコーヒーを淹れ、深めの受け皿に飲む分を移し入れて冷まして飲んでいました。まだ日本が江戸時代の頃です。
なぜ瀬戸の陶工と関係があるのかというとその理由は、オールドノリタケの生みの親でもある森村市左衛門から輸出磁器用(主に米国向け)に「茶碗に取っ手をつけてほしい」と相談があったのです。
ただその当時瀬戸でも作った人はおらず職人たちも見たこともありません。数多くの窯元ができないと断る中、引き受けたのが、川本桝吉でした。
ちなみに現在築140年の旧川本桝吉邸は現在は古民家宿ますきちとして宿泊することができるようになっています。
今のように情報も多くない時代、見たこともないコーヒー茶碗づくりに果敢に挑戦しそれを完成させることはどれほど大変だったことでしょう。
「茶碗に取っ手をつける」と言葉では簡単で今なら当たり前なのかもしれませんが、取っ手を付けることで焼成時にゆがみが生じ製作は困難だったようです。
しかし、明治時代、国家のために輸出磁器を作るという森村市左衛門の情熱と新しいことにチャレンジする心意気のある瀬戸の陶工と職人たちにより現在のコーヒーカップが誕生したことに日本の職人気質を垣間見ることが出来ます。
ふだん何気なく使っているコーヒーカップに地元瀬戸市とそんな関わりがあったとは今まで全く知らず、これからの寒い季節にコーヒーを飲むたび思い出しながら美味しくいただけそうです。
このほかオールドノリタケの作品はこちらからご覧いただけます。
- 2024.12.03
- 15:57
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間違いやすいオールドノリタケの偽物の刻印
偽物3.
明治43-44年(1910-1911年)アメリカ輸出向け
以上はよくみかける偽物の刻印の一部となります。
オールドノリタケとは